坂部の羽子板、破魔弓
「雛市」と呼ばれる雛人形やひな祭りに使う道具類を売る市(いち)が各地にたちました。現在のような店舗然としたものではありませんが、人々の人形に対する関心は高く、思いの外良く売れたといいます。紋弥も、家族総出で組みたてた人形を荷車(リヤカー)に積んで渋川や箕郷町(みさとまち)、果ては片道2時間以上かけて沼田や中之条などの遠方にまで泊りがけで売りにでかけています。雛市といえば、その町の主だった商店の店先を借りて店(たな)を開くというのが常で、紋弥も下駄屋などの店先を借りては商売に精を出したのです。
紋弥が始めた石倉人形店ははっきりした創業は量りかねますが、様々な話をつなぎ合わせると およそ明治42年ということに落ち着きます。
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